毒吐き女のぼやき

毒吐き女のぼやき

看護師4年目、訪問看護の非常勤ナース。私が歩いた道のりをここに残していきます。

私は自分の為に、人を憎むのを辞める。

 

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どうも、毒吐き女まなみです。

先日の記事にもある通り、実家に帰省中していました。

 

 

今年の1月にも、訳あって実家に帰省していました。

その時、6年ぶりに私の父に再会したんです。そして、6年ぶりに父と少しばかり話もしました。

 

 

私は父と話すだけなのに6年もの時間がかかりました。

 

 

ずっと心にわだかまっていた父の存在…。ずっと許せなかった父。

そして、今も許せない部分もあるけれど、もう人を憎むのは辞めたんだ。

 

 

皆さんのお父様、お母様はお元気ですか?

少しは話をしてますか?

 

今日はそんなお話し。

 

 

 

 

 

 幼くして両親が離婚した

少しばかり、私の過去をお話しします。

 

最近では、日本の離婚率も30%代に乗ってきているという統計が出ていますね。結婚しても3分の1の家庭が離婚しているのです。

私の両親もまた例外でなく離婚しています。私が小学1年生の時です。

 

そして、私と弟2人の兄弟3人は父子家庭になりました。母親の経済力がなかった為に、母子家庭になることを父方の両親に大反対されたそうです。後から聞きました。

 

 

当時父は、札幌の生命保険会社に勤めており、通勤時間がかかることや夜遅くに帰宅してくることがしばしありました。心細いけれど子供3人でお留守番。

 

そんな生活も長くは続かず。祖父母が自営業していたので、父もそちらで働きつつ子育てをする生活に自然と移行していきました。

日中は自営業をこなし、車で5分ほどの実家へ帰る。学校帰りの子供たちは、父の仕事が終わるまで祖父母の家でお世話になる。

 

 

そうやって、父と私と弟2人、父方の祖父母と一緒に生活を共にすることになりました。

 

 

中学2年 祖母他界

やんちゃ盛りな子供3人の身の回りの生活から教育まで、母親代わりをしてくれていた祖母が他界。

 

 

子供たちはまだ小さい。誰が面倒をみるのか。

父は身の回りのことやら、教育、学校関係のことまですべて祖母に丸投げ状態。

うちの父は、俗にいう育児放棄

案の定、急に生活してみろと言われても、まともな生活は出来ませんでした。

 

そんな中、父方の姉(叔母)が子供たち3人の一切の面倒をみると名乗り出てくれることになり、奇妙な生活が始まりました。

厳しめな人ではありますが、その中にもしっかりと愛情をもって接してくれていました。 今現在も私たちの親代わりをしてくれています。本当に感謝です。

 

 

 父はもともと働くのが嫌な人

 

私の父は根っからの働くのが嫌いな人でした。

祖母が他界後から株式の取引を始めるようになり、一時期は利益を出していたようです。

利益が出ると、分かっていたかのように自営業の仕事をしなくなりました。仕事も辞めてしまいました。

 

はじめは良かったんですが、同然の如く株式の取引では上手くいかなくなりました。生活が出来なくなりました。

 

当時の私の高校の授業料すらきちんと支払いしていなかったことを、最近になって聞きました。

それ以外でも、ずっと祖父母に金銭面のカバーをしてもらっていたようです。

 

 

父とはいえども、この時点で正直クズです。

 

 

だから嫌いで許せない

 

私が父が嫌いで許せない理由

◦ まず金にだらしない

◦ 子を持つ親として責任持て、働け

◦ 人に世話になったのなら感謝しろ、当たり前と思うな

◦ 親なんだからちゃんと教育しろ、丸投げすんな

◦ 誰かが助けてくれると思って生きるな、人に依存するな

◦ 何かにつけて、起こった事象は人のせい。人のせいにすんな

◦ 自分の良くない部分を改善しない、人の事言う前に自分はどうよ

◦ そして常識外れ。最低限の常識は守ってくれ、恥ずかしい

 

 

最低限のお金の管理も出来ない、金銭面も教育も生活も、生きる上で必要なことも全てにおいて祖父母に叔母に助けてもらって当たり前。

してもらって当たり前、やってもらって当たり前と思っているその精神が許せない。

 

 

本当に色々いろいろありすぎて、おそらく存在自体が許せなかった。

 

 

バージンロードの葛藤

  

私は高校卒業して、進学のためすぐに上京しました。

その際、私からも叔母からもどんな学校に行っているのかも伝えていないし、連絡先も伝えていないし、私も父の連絡先は分からない。そんな状況で飛び出してきました。

 

 

そこそこに忙しくもあり楽しいキャンパスライフを送り、看護師として働き始めて約3年経った昨年12月。

前の職場を辞めて、自分を見つめ直したとき

 

 

「自分いつか結婚するのかな?」

  

って思ったんです。

 

そうして考えるうちに、

 

 

「自分バージンロード、誰と歩くんだろう?」

 

 

えっ、わたし誰と歩くんだ?

 

お父さん…だよな?いやいや、絶対無理でしょ。

 

きっと無理だから、旦那さんになる人にはじめから歩いてもらおう。

 

お父さんはそもそも呼ぶのか。

 

そんな葛藤がグルグルしていました。

 

行きついた答えは、「お父さんとバージンロードを歩きたい」

 

 

「今すぐ電話せえ」の一押し

 

兄弟で女は私1人。

私がバージンロードを奪ったら、父は一生バージンロードを歩くことのない人生を送るのだろうか。私も父とバージンロードを歩くことは一生ないのだろうか。

 

ずっとずっと、そんなことを考えていました。

そんなある日、年上の方と食事する機会があり、父とのことを相談してみたんです。

 

 

「なんでそんなこと思うの?」

 

「後悔したくないからです。」

 

「じゃあ、今すぐ電話せえや。」

「親孝行はお金がないと出来ないことなのか?そんなことないだろう。元気にしてるよって伝えるだけでも十分親孝行だろう。」 

 

「・・・。今日はもう遅いんで明日連絡取ってみます。」

 

 

こんなこと言われたって、すぐに連絡を取れるわけがなかった。

どんな顔して、6年も音沙汰なしの父になんて声をかけろって言うんだ。

 

でも、このまま連絡取らなかったらどうなる?

逆に、連絡取ってみたらどんな未来がある?

一本連絡入れるだけ。たった一言言うだけ。

 

 

翌日叔母経由で連絡先を聞くのにLINEを送るか迷っていると、従妹から一本の電話が入る。

 

 

内容はお世話になった祖父が亡くなったと伝えるもの。

 

 

祖父がくれた最後のチャンス

 

すぐに帰省するための航空券を手配し、翌日実家へ。

 

ここで6年ぶりに父と再会しました。

相変わらず小太りな父。

薄くはなっていないものの、白髪にチェンジしている見覚えのある父。

少し気まずそうな雰囲気を醸し出す父。

 

 

6年もの間にこんなにも変わってしまうものなのか。

こんなにも老いてしまうものなのか。

今何歳なんだろう。あと20年もしたら80歳になるのか。

 

この6年一回たりとも見てこなかったんだ。 

 

父の老いをひしひしと感じる。

 

 

出前の天丼を食べる。

皆が皆、気まずいオーラを放つ異様な時間。

 

話の切り口は何がいいか、思考が巡る。

なんて声かけよう。

 

 

今日を逃せばもう集まるチャンスはないだろう。

きっとこれが一歩を踏み出す最初で最後のチャンスかもしれない。

じいちゃんよ、タイミング良すぎやしないか。 

 

 

自分の為に人を許す

 

 2番目の弟がこんなことを言っていた。

「たとえ許せなくても、俺らの親はパパだしママでしょ。」

「子は親を選べないんだから、しょうがないじゃん。」

「お姉ちゃんとゆう(弟)が許せないって言ってても、この先どうするのさ。誰かが連絡取ったりしなきゃならないんだし、誰もやらないんだったら俺が先陣切って適度な関係でいたほうがいいじゃん。」

 

 

そういえば、2番目の弟は父と離れた後も、一目散に許して関わっていた。

私が許すまいとしていた時間を、弟は許してしまうことでその間も関係性を続けていた。

 

許せないという感情に縛られて、距離を置いていったのは自分。

許せないという理由で、そこにあったはずの時間を空白にしてしまったのも自分。

 

 

以前やりたいことリストを100個書いたとき、死ぬまでに父とやりたいことがあった。

 

 

父とバージンロードを歩きたい。

父にバージンロードを経験してもらいたい。

 

 

私はその夢を叶えなければ、自分の死ぬ瞬間が来るときにきっと後悔するだろう。

父も思うかどうかは分からないが、娘とバージンロード歩きたかった、って思うんじゃないか。父にとって、たった1人の娘だから。

 

 

「許せない」っていう感情に支配されて、今と未来を生きる自分の可能性と夢を握りつぶしてしまわないようにしよう。

 

もしも許せたのなら、父とやりたかったことがどれだけ実現できるだろうか。

もしも許せたのなら、これからの時間をどれだけ共有できるだろうか。

もしも許せたのなら、掴めたチャンスがいくらあっただろうか。 

 

父とやりたいことを成すために必要なことは、たった一つ。

許すことだけ

 

 

あぁ、早く許してしまえばいいんだ。そうすればこの悩みも全て解決される事。

 

もっと早く気づけば、もっと早くアクション起こしていれば…って思うけれど、過去ばかり見ていても、もう過ぎ去ったことだから巻き戻せない。

 

 

私たちは過去に生きているのではないのだから。

生きているのは「今」、そして「未来」の時間を生きていくのだから。

これからの自分の時間を生きていくために、今この感情を手放そう

 

もちろん簡単な事じゃないけれど、でも自分がやらなきゃ何も変わらない。 

 

 

あの一歩が父と私の時間を進ませる 

 

天丼を食べた後、皆が撤退していく。

 

父と真ん中の弟と3人になり、重い口を開く。

 

 

「最近元気なの?」

 

「まあまあ元気だけど、血圧高くってさ。バタバタしてたら今日の薬飲み忘れたよ。」

 

「ちゃんと薬飲まなきゃだめだよ。今からでいいから飲みなよ。」

なんて看護師ぶってアドバイスしてみたりする。

 

 

そんなぎこちなくも他愛のない会話。1時間程お互いの今について語った。

 

そして、電話番号を交換した。

 

まさか電話番号まで交換するとは思わなかった。

 

先日の帰省時も少しばかり近況の話をした。

6年間進まなかった私と父の時間が確実に進み始める。 

そして、きっとこれからも進んでいくだろう。

 

まだまだ、私と父の時間は進み始めたばかり。

 

憎むという感情を手放すことで

人を許すことで

 

今までとは違った未来が見えかかっている。 

 

私は自分の夢を確実に叶えていく。